解答例
第1 甲の罪責
1 甲が自家用車(以下「甲車両」という。)でAの自家用車(以下「A車両」という。)に衝突し、よってAを死亡させた行為に傷害致死罪(205条)が成立する。
(1) 甲は、不法な有形力行使たる上記行為によって、Aに頸椎捻挫という生理的機能の障害である「傷害」を負わせている。
(2) 甲の上記行為と死との間には、乙の運転する自動車(以下「乙車両」という。)との衝突という過失行為と、被害者Aが病院で暴れたという事情が介在しているものの、なお乙の上記行為とAの死との間に因果関係が認められる。
ア 法的因果関係とは、当該行為に結果発生を帰責することができるかという問題であるところ、当該行為の危険性が結果へと現実化したといえる場合には、因果関係が認められると考える。
イ 乙の介在事情
本件では、Aの死因となった後頭部血管損傷の傷害は、乙車両とA車両との衝突行為が原因で生じている。もっとも、乙車両と衝突したのは、甲の上記行為によってA車両が交差点の中へと強く押し出されたからであり、甲の上記行為によって誘発されたものである。また、後述のとおり、確かに乙は前方不注注視という過失行為を行っている。しかし、通常赤信号の車道から車が飛び出してくることは想定できず、後述のとおり、乙には結果回避可能性がなかった可能性もあり得るような事案であった。そうだとすれば、乙の過失行為たる介在事情は異常性が低い。以上にかんがみれば、甲の上記行為の危険性がAの死因たる後頭部血管損傷の傷害という結果へと間接的に現実化したといえる[1]。
ウ 被害者Aの介在事情
緊急手術によってAの容体はいったん安定し、加療期間は良好に経過すれば3週間との見通しであった。それにも関わらず、入院中Aが暴れたことによって容体の悪化につながった可能性があるところ、甲の上記行為との間に因果関係が認められないとも思える。
しかし、Aの死因は甲の上記行為によって形成された傷害であり、死因の同一性が認められる。また、加療期間についても見通しにすぎないのであり、容体が安定した時点で甲の上記行為によって形成された傷害による死の危険性が完全に消滅したわけではない。さらに、Aが暴れたという介在事情についても、それが容体の悪化につながったかは定かでなく、可能性があるにすぎない。以上にかんがみれば、仮に介在事情がなかったとしても、Aの死という結果は発生していたといえ、甲の上記行為の危険性がAの死という結果へと直接現実化したといえる[2]。
エ したがって、甲の上記行為とAの死との間に因果関係が認められる。
(3) 甲には、傷害の故意(38条1項)が認められる。また、結果的加重犯は、類型的で高度な結果を生じさせる行為について特に重く処罰する趣旨であるところ、加重結果には過失も不要である。
(4) Aの傷害結果は、Aの同意していた傷害の範囲を大きく超えるものであるところ、被害者の承諾による違法性阻却は認められない。
(5) また、甲の認識では甲の上記行為による傷害結果はAの承諾の範囲に収まると誤信していたが、責任故意は阻却されない。
ア 故意責任の本質は、反規範的行為に対する道義的非難にあるところ、違法性阻却事由も規範たり得る。そこで、行為者の主観において違法性阻却事由が成立する場合には、行為者に規範的障害の克服が認められず、故意が認められない。
被害者の承諾による違法性阻却については、①被害者の有効な同意があり、②社会的相当性が認められることが必要である。
イ 本件では、甲の主観においてAからの有効な同意が認められる(①充足)。しかし、本件犯行の目的は保険金詐欺目的であるところ、かかる目的は社会的相当性を逸脱したものである(②不充足) [3]。
ウ したがって、甲の主観においても違法性阻却事由が認められず、責任故意は阻却されない。
2 甲の上記行為によって、乙に肋骨骨折等の傷害を負わせた点について、傷害罪(204条)が成立する。
(1) まず、甲の上記行為は不法な有形力行使にあたる。乙には肋骨骨折という「傷害」結果が生じている。前述のとおり、A車両と乙車両の衝突は、甲の上記行為の危険性が現実化したものであるといえるところ、甲の上記行為とかかる衝突のショックによって生じた乙の傷害結果との間についても、因果関係が認められる。
(2) 甲の上記行為は、甲の故意はAに対する傷害罪の故意であるものの、乙との関係でも故意は阻却されない。
ア 故意責任の本質は前述のとおりであるところ、同一の構成要件内での重なり合いが認められる限り、故意は阻却されないと考える。また、故意を抽象化して考える以上、複数の故意を認めることができ、観念的競合によって不都合は回避できる。
イ 本件では、甲の主観ではAに対する傷害罪の故意であるのに対し、客観的に生じた結果は乙に対する傷害罪であるところ、およそ人に対する傷害罪という点で同一構成要件内の重なり合いが認められる。
ウ したがって、甲の故意は阻却されない。
3 以上より、甲の上記行為に、①傷害致死罪及び②傷害罪が成立し、両者は同一の行為によって発生しているため、観念的競合(54条1項)となる。
第2 乙の罪責
1 乙は自動車運転中に前方を十分に注視して運転する義務があるにもかかわらず、これを怠りAの自動車に衝突し、Aを死亡させているところ、かかる行為に過失運転致死罪(自動車運転死傷行為処罰法5条)が成立する。
2 乙は「自動車の運転上必要な注意を怠」ったといえる。
(1) 「自動車の運転上必要な注意を怠」った、すなわち、過失とは法益侵害の危険に対する予見可能性を前提とした結果回避義務違反を意味する。
(2) 本件では、乙は、前方を注視することなく自動車を運転していた。自動車の走行中には前方の他の車両運転者や歩行者に死傷の結果が生じうることが予見可能である以上、前方注視義務が認められる。それにもかかわらず、乙はかかる義務を履行していない。
(3) したがって、乙の上記行為は「自動車の運転上必要な注意を怠」ったといえる。
3 もっとも、乙が前方を注視していたとしても、衝突事故を回避できなかったとも思える。しかし、本件では既にA車両が交差点の中で停止しており、前方を注視していれば、それに気づくことができたであろうから、かかる義務を履行していれば結果を回避できたことが合理的疑いを超える程度に確実といえる。また、このことは、乙車両の衝突位置がA車両の右側面であることからもうかがえる[4]。
そして、Aの死因は乙の衝突行為による後頭部血管損傷であるところ、乙の行為の危険が結果へと現実化したといえる。なお、被害者Aの介在事情については、前述のとおり因果関係を遮断しない。
したがって、乙の上記義務違反行為とAの死との間に因果関係が認められる。
4 よって、乙の上記行為に、過失運転致死罪が成立し、乙はかかる罪責を負う。
以上
[1] いわゆる間接実現類型。橋爪連載(総論)・第2回91頁参照。
[2] いわゆる直接実現類型。橋爪連載(総論)・第1回93頁参照。
[3] 最判昭和55年11月13日参照。
[4] 結果回避可能性を、結果回避義務を課す前提として要求する見解の場合、そもそも結果回避義務が認められないのではないか、という点で過失行為の存否の問題となる。もっとも、結果回避可能性は事後的判断であるのに対して結果回避義務は事前判断であるため、その議論の次元は異なる。結果回避可能性は因果関係に位置付けるのが相当である。橋爪連載(総論)・第7回121頁参照。