解答例
1 Dによる不許可処分は、Xの取材の自由を侵害し、憲法21条1項、刑事収容施設及び被収容者の処遇に関する法律(以下、「法」という。)114条1項に反する。
2 取材の自由は、憲法21条1項によって保障される報道の自由の不可欠の前提を成すものであり、一連一体の行為として憲法21条1項の保障が及ぶ。
これに対して被告は、①本来一般人が自由に立ち入ることを許されない施設である拘置所に在監中の被勾留者に取材する自由まで保障するものではないこと[1]②取材の自由は十分に尊重に値いするにとどまること[2]を反論することが考えられる。
しかし、①については、よど号ハイジャック記事抹消事件判決[3]によれば被勾留者には原則として一般市民としての自由が保障される以上、勾留者Aが取材を望む本件のような場合にまで取材の自由が保障されないとするのは妥当でない。また、②については、前述のとおり取材の自由が報道の自由と直結するものであることを考えると、かかる見解は妥当でない。
3 上記取材の自由は、本件不許可処分によって制約されている。
4 上記制約は正当化されない。
(1) 「刑事施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上必要な制限」(法114条1項)については、未決勾留者に対する取材の自由の制約がある以上、憲法に適合するように解するべきである。そこで、収容施設内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生じる相当の蓋然性があると認められる場合にのみ許される。
これに対して被告は、収容施設という特殊な集団的拘禁施設という特質からすれば、拘置所長には裁量が認められると反論することが考えられる。
しかし、かかる反論は拘置所の被勾留者に対する取材の自由は憲法上の保障が及ばないことを前提としており、前述のとおりかかる前提は妥当でない。
(2) 本件について検討する。
ア まず、本件ではAの家族とAとの接見は許可されているところ、取材目的のXの接見が禁止されている。そうだとすれば、取材目的の接見であることを理由に本件不許可処分がなされたと考えられる。しかし、取材目的であるのみでは、逃亡・罪証隠滅の防止や収容施設内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生じるとはいえない[4]。
イ これに対して被告は、本件の3年前にE拘置所で起きた暴行事件のような事態が生じ、収容施設の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生じる相当程度の蓋然性があると反論することが考えられる。しかし、そもそも本件においてXが名誉毀損的な記事を公表する蓋然性がどこまであるかは不明であるし、その記事を知ったAが精神的に動揺して、同拘置所の職員を殴るなど収容施設の秩序を害する蓋然性が高いとも思えない。また、上記事件は3年も前の話であり、かつ、GというAとは全くの他人の事件であり、AをGと同列に論じるのは妥当でない。
ウ また、もし仮に拘置所長Dに裁量が認められるとしても、面会の目的が取材のためではなく、面会の内容は一切公表しないとの誓約書を書かせることで接見を認めるという方法があり得た。それにも関わらず、かかる方法をとらず、Xに取材目的でない接見でもよい旨の確認をしていない点で、考慮不尽の違法があり、裁量の逸脱濫用が認められ、行政事件訴訟法30条の違法がある[5]。
5 以上より、本件不許可処分は、憲法21条1項、法114条1項の反し、取消事由が認められる。
[1] 東京高判平成7年8月10日参照。
[2] 博多駅テレビフィルム事件決定(最大決昭和44年11月26日)参照。
[3] 最大判昭和58年6月22日参照。
[4] かかる点は、憲法14条1項の問題として別に論じることもできると思われる。しかし、結局被告は、かつてのGの暴行事件からXの接見を不許可にしたのであって、取材目的によるのではない、と反論することが考えられ、それに対しては本文イ・ウのような内容を再反論していくことになると思われ、結局21条1項と論じる内容が被ることになる。本解答例ではそれを考慮し、すべてを21条1項の枠内で論じている。
[5] もっとも、Dがかかる方法を採ればXは誓約書の提出を拒むことが予想される。そうだとすれば、かかる理由で勝訴したとしても、結局再度不許可処分がされることになるであろうから、最終的なXの救済にはならない。また、かかる主張が前掲平成7年東京高裁判決を前提にしても認められるかは、よく分からない。