解答例
1 甲が、Bに対し、暴力団であるX組組員であることを秘して、Bと暴力団排除条項たる本件条項のあるB所有のマンション(以下「本件マンション」という。))の本件居室の賃貸借契約(以下「本件契約」という。)を締結した行為について、詐欺罪(246条2項)が成立する[1]。
(1) 甲の上記行為は、本件契約を締結するに際し、家賃等必要な費用を支払う意思も資力もあったものの、「人を欺」く行為にあたる。
ア 「人を欺」く行為とは、利益の主観性故に広がる処罰範囲限定の観点から、被害者の利益提供の判断の基礎となる重要な事項を偽る行為をいうと考える。
イ 本件では、本件契約内容として、暴力団排除条項である本件条項が規定されていた。また、Bは本件条項の内容を甲に説明した上、身分を証明する書類の提示も求めている。通常、マンションに暴力団関係者が居住していることが判明した場合、他のマンション利用者が減り、マンションの資産価値が低下する。そして、本件マンションが所在する某県においては、暴力団排除の観点から本件条項の規定が推奨されており、資産価値低下の防止の観点から本件条項を規定するのが一般的であった。以上の諸事情にかんがみれば、本件マンションを経営するBにとって、賃借人が暴力団関係者であるか否かについては、賃貸借のサービス提供に際して、重要な事項となっていたということができる。甲の上記行為は、自己が暴力団組員であることを秘して賃貸を申し込んでいる点で、挙動により重要な事項を偽っているといえる。
ウ したがって、上記行為は、「人を欺」く行為にあたる。
(2) Bは、甲の上記行為により、甲が暴力団員でないという錯誤に陥っており、これによって本件契約を締結している。
(3) 甲には、詐欺罪の故意(38条1項)が認められる。
(4) よって、甲の上記行為に詐欺罪が成立する。
2 甲が、本件契約の締結の際、契約書に変更前の氏名を記入した行為に、有印私文書偽造罪(159条1項)が成立する。
(1) 甲には、偽造した文書を本件契約のために用いるという「行使の目的」が認められる。また、本件の契約書は、賃貸借契約についての契約書であるため、「権利」「義務」「に関する文書」にあたる。
(2) 甲は、養子縁組前の氏名を用いて本件契約書を記載しているにすぎないものの、「偽造」にあたる。
ア 「偽造」とは、文書の名義人と作成者との間の人格の同一性を偽る行為をいう。作成者とは意思観念の帰属主体をいい、名義人とは、作成者として文書上認識される者をいう。
イ 本件では、文書の名義人は、変更前の氏名たる甲であるのに対し、文書の作成者は、変更後の氏名たる甲である。確かに甲というレベルでは人格の同一性が認められるものの、本件契約の契約書の性質・機能に照らせば、甲が暴力団であるか否かが重要な意義を有するところ、暴力団員として使用していた変更後の氏名たる甲と、自営していた人材派遣業や日常生活で使用していた変更前の氏名たる甲とでは、人格の同一性に齟齬を生じさせているといえる。
ウ したがって、上記行為は、「偽造」にあたる。
(3) 上記のとおり、甲は偽造にあたり「他人の署名」を用いているといえる。
(4) よって、甲の上記行為に有印私文書偽造罪が成立する。
3 甲が、上記偽造私文書をBに渡して偽造私文書を申請な文書として使用する使用した行為に、偽造私文書行使罪(161受1項)が成立する。
4 甲が、丙に対し、同人の顔面を1回殴り、よって急性硬膜下血腫の傷害を負わせ、死亡させた行為に傷害致死罪(205条)は成立しない。
(1) 甲の上記行為は、傷害行為にあたり、丙の死と甲の行為との間に因果関係も認められる。甲には暴行の故意(38条1項)も認められる。
(2) 丙は、客観的には、着衣のポケットからスマートフォンを取り出したにすぎず、甲に対して攻撃を加えようとはしていなかったため、丙による「急迫不正の侵害」が認められず、甲の上記行為に正当防衛(36条1項)は成立しない。
(3) もっとも、甲は、丙がスタンガンで攻撃してくると誤信していたところ、甲の主観において正当防衛が成立し、責任故意が阻却される。
ア 故意責任の本質は、反規範的行為に対する道義的非難であるところ、違法性阻却事由も規範たり得る。そこで、行為者の主観を基準にして、正当防衛が成立する場合には、責任故意が阻却されると考える。
イ 本件では、甲は、丙がポケットからスタンガンを取り出して、甲に攻撃をしようとしていると勘違いしていたところ、かかる主観を基準とすれば、丙による甲への法益侵害が切迫しており「急迫不正の侵害」が認められる。また、甲には、「自己」の身体という「権利」について自己の身を守るためという防衛の意思がみとめられ、「防衛するため」にあたる。さらに、丙は20歳、身長180センチメートル、体重85キログラムであるのに対し、甲は28歳、身長165センチメートル、体重60キログラムであるところ丙は甲よりも体格的に優れており、かつ、甲の主観によれば丙はスタンガンを所持していることになるのであるから、そのような丙に対する甲の上記行為は必要最小限度の法益侵害行為といえ、「やむを得ずにした行為」といえる。以上にかんがみれば、甲の主観によれば、甲の上記行為に正当防衛が成立する。
ウ したがって、甲の責任故意が阻却される。
(4) よって、甲の上記行為に傷害致死罪は成立しない。
5 甲は、前記4の行為について、丙の態度を注視して自己に攻撃を加える意思があるかを確認する義務があったにもかかわらずこれを怠った点で過失が認められ、過失致死罪(210条)が成立する[2]。
6 甲が、丙に対して、腹部を3回蹴り、よって加療約1週間を要する腹部打撲の傷害を負わせた行為について、傷害罪(204条)が成立する。
(1) 甲の上記行為が傷害行為にあたること、丙の傷害結果と因果関係を有することが認められる。
(2) 甲は、すでに丙が意識を失っていることを認識しており、丙に対する怒りから上記行為に及んでいるところ、前記4の行為と、防衛意思の一体性が認められない。したがって、前記4と一連一体の行為として過剰防衛は成立しない。
(3) よって、甲の上記行為に傷害罪が成立する。
7 以上より、甲の一連行為に①詐欺罪②有印私文書偽造罪③偽造私文書行使罪④過失致死罪⑤傷害罪が成立し、②と③は牽連犯(54条1項後段)、③と①は牽連犯となり、④と⑤は近接した時間・場所における同一の法益侵害であるため、包括一罪として⑤が④に吸収され、④と①②③は併合罪(45条1項前段)となる。
以上
[1] 公訴事実記載例「被告人は、〇〇年某月1日ころ、B方(?)において、Bとの賃貸借契約を締結する際、養子縁組によって変更される前の氏名を詐称して自己が暴力団組員でないとBを誤信させようと企て、自己の氏名を「〇〇(変更前の氏名)」と名乗り、賃貸借契約書を作成するに際し、契約者名欄に、行使の目的をもって、ほしいままに、「〇〇(変更前の氏名)」と冒書し、その認印を押して、もって暴力団組員ではない「〇〇(変更前の氏名)」を使用して権利義務に関する私文書一通を偽造し、さらに、同日、同所において、Bに対し、あたかも真正に成立したもののように装い提出して行使し、同日、同所において、〇〇所在のB所有のマンション居室はその賃貸借契約の条項により暴力団員の居住を禁止しているにもかかわらず、真実は被告人が暴力団X組構成員であるのにそれを秘し、Bに対し、暴力団員として使用していない養子縁組前の氏名を名乗って、養子縁組前に取得した養子縁組前の氏名が記載された自動車運転免許証を提示するなどして本件居室の賃貸借を申し込み、Bをして、被告人が暴力団員ではないと誤信させ、よって、被告人とBとの間で賃貸借契約を成立させた上、被告人において同居室を利用し、もって、人を欺いて財産上不法の利益を得たものである。」。本件は、私文書偽造、同行使罪、詐欺罪が牽連犯となるため、まとめて1文で記載することとなる。
[2] 公訴事実記載例「被告人は、〇〇年某月9日午前1時ころ、A宅前の路上において、丙から「おいこんな時間にどこ行くんだ、」と声をかけられ、これを無視して路上から立ち去ろうとすると、丙から「無視すんなよ。こら。」と威圧的に言われ、上記場所から30メートル先において目の前を立ち塞がられ、さらに着衣のポケットからスマートフォンを取り出そうとされていたのであるが、丙の取り出したものがスタンガンであると認識して丙に対して防衛行為として顔面を殴打すれば、それによって丙が倒れ頭部をぶつけ急性硬膜下血腫により死亡する危険があったのであるから、丙が取り出そうとしているものが何であるかをしっかり中止し、殴打行為を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、丙の顔面を殴打した過失により、丙を転倒させ地面に頭部を強く打ちつけて、よって、同日午前9時ころ、搬送先の病院において、同人を急性硬膜下血腫により死亡するに至らせたものである。」。